すべての人を照らすまことの光
ヨハネによる福音書1:1-14
初めに言葉があった
この言葉は天地創造の前から、すなわち「永遠の昔から存在されていた御方である」と、ヨハネは第四の福音書ではっきりと宣言しています。
イエス・キリストは「αであり、ωである」と宣言されているように、「永遠の初めから永遠の終りまでを支配されている神」であると共に、「天地万物を創造された神である」事をも宣言されています。
「この方によらずに出来たものは一つもない」3とヨハネは教えています。
ヨハネは、「イエス様の存在を天地創造の前から」、永遠の昔からの神様の御計画の中で、14節にあるように「言葉は人となって、私たちの間に住まわれた」と、言葉(キリスト)が肉体という天幕を私たちの間に張られたのです。これが他の福音書に記されていないクリスマスの物語です。
イエス様は、
1-永遠を支配される神様
永遠の初めから言葉として、父なる神と共に存在されていたお方が肉体を持つ人間としてクリスマスに産まれたのが、「言葉は人となって、私たちの間に(幕屋を張って)住まわれた」イエス様なのです。
2-神様の言葉としてのイエス様
私たちの言葉は、時として「実現しない空しい言葉」である場合があります。しかし、マリヤに天使が語ったように、『神様の約束は、必ずその通りになるのです』(ルカ1:37)。神様の言われた約束の通りにクリスマスが成就しました。神様の約束の真実さは、イエス様の誕生、クリスマスによって実現したのです。
3-言葉は神と共にあった
ヨハネによる福音書は、「三位一体の神」を、はっきりと伝えています。
永遠の昔から、「初めに神と共におられた」2と語り、父なる神と子なるイエス様が意思を同じくする言葉を持っておられた事を学びます。特にコリント第一13:13「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」とあるように、天国に入るまで、信仰と希望は大切なものですが、永遠の世界、全知全能の神様の御手の中で生きる時、最も大切なものは『愛』である事を学ぶ必要があります。
あなたもクリスマスを迎える事がどのような意味があるのかを今年のクリスマスに学んでいただきたいと思います。
闇の中から、光りの世界へと歩むクリスマス
聖書の宣言は、「この方(イエス様)に、いのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」4-5と、イエス様が生まれた事は、「暗闇の中に太陽が昇り、暗闇の世界が滅亡された」事であったのです。
ベツレヘムの羊飼の野原に、真夜中に「天に栄光・地に平和、み心にかなう人々にあるように……」と、天使の歌声が響きました。
イエス様が、あなたの心の中にお産まれになる時、あなたの心に神様の栄光の光りが差し込み、あなたの人生を明るい人生へと導いてくださいます。それはイエス様が来られた目的は「人類の罪を赦すためにあなたの罪を担って十字架にかかり死んで下さる」為です。
昼の12時から3時まで、灼熱の太陽が消え、十字架の回りは暗闇で覆われました。「私は世の光である」と宣言されていたイエス様が、あなたの人生の暗闇を担って死んでくださいました。ここにキリスト教の救いがあります。
あなたも光りの中を歩む人生へと向かってください。この体験がクリスマスの恵みであり、救いなのです。
神の子となる特権に預かる
「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」12
最近の裁判で、「子供は等しく親の財産を分与される」事が認められるようになりました。
イエス様の救いは、
「御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(ルカ2:10-12)とクリスマスの宣言を完成するために十字架の道を歩まれました。そして十字架で「テテレスタイ」(完成した)と宣言されて、神様は、人類の罪を赦し、救いを完成されました。
あなたもイエス様の子供としての、信仰生活の一歩を、今年のクリスマスからはじめて下さい。