神様の示す地へ進む信仰!
新年礼拝メッセージ     創世記1:1-9

 2015年の最初の聖日に相応しい御言葉を求めて祈ってきました。今年は私にとっても、教会にとっても、大きな転換期を迎える年だと思うと、武者震いをしてしまう状態です。
 そこで神様から示されたのは、行く先を知らず、「主がお告げになった通りに、示される地に出かけた」4と「『信仰の父』アブラハム」の事が示されました。

 御言葉に聞き従ったアブラハムの信仰
 「信仰の父」と言われているユダヤ人の先祖、アブラハムは最初、アブラムと呼ばれていました。そのアブラムに神様は「生まれ故郷、…父の家を出て、私が示す地へ行きなさい」と、「神様はアブラムに言った」1のです。
 先週、私はクリスマスの次の日から、一週間の断食祈祷をして祈りました。
 その中で示されたのは、「信仰の父・アブラハムの信仰」です。
 彼は75歳でしたが、私は、今年で70歳になり、アブラハムの道をたどりたいと願っています。
 アブラハムに神様は「私が示す地へ行きなさい」と語りかけられました。それに対して「アブラムは主がお告げになった通りに出かけた」4と書かれています。主の御声を聞く姿勢を持つ必要があります。親が子供に、「これならこの子供にも出来る」と思う事でないと、それを「しなさい」とは言わないと思います。
 神様が、「これをしなさい」と語られる時、不可能な事は命じられないと思います。
 今日、あなたは「出来る、できない」の前に、神様が、「しなさい」と言われる様な、神様に信頼され、御声をかけてもらえるクリスチャンであってほしいと思います。
 そしてサムエルのように、「お話しください。僕は聞いております。」(サムエル記13:10)と、イエス様に「聞き従うクリスチャン」になりたいものです。

 高校生二年生の時、「主が来られる時に至るまで、主の死(十字架の福音)を宣べ伝えよ」との御声を聞きました。家族は反対しました。当時は、かすかな期待をかけて薬屋を残してくれていました。私が神様に従う方を選んだために、お袋は「もう薬屋を残す必要はないな」と悲しそうに言ったのを覚えています。

「私が示す地へ行きなさい!」と、主の導かれるままに・・・
 アブラハムは行き先を知らずに、神様が示されるままに信仰の道が始まったのです。人間は色々な試練の中を通って学ぶ人と、「不公平だ!」とぼやきながら歩む人がいます。
1-訓練は、当座は喜ばしいものではないが…
 神様の導きの中で訓練を受け、それを通った者だけが、次の試練を通して、完成へと導かれるのではないでしょうか。
2-死に至るまで忠実であれ…
 神様は黙示録で、「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」(黙示録2:10)と言われています。
 クリスチャンは霊によって始めた事を、肉で仕上げる失敗をしてはならないのです。

3-祭壇を築き、主の名によって祈る…
 アブラハムは、「自分に現われて下さった主のために祭壇を築いた」、そして「主の御名によって祈った」7-8とあります。
 一歩、一歩、忠実に歩むと、神様はあなたの信仰を認めて下さって、それに答えて、次のステップに上げてくださいます。

 あなたも神様の示される道を、一歩、一歩、忠実に歩み、多くのタラントを増やして、神様と人々から愛され、信頼される人生を歩んでください。
 そのために前進するには、『祭壇を築く』信仰を持っていただきたい。アブラハムは、信仰の要所、要所で、『主の祭壇』を築きました。
 神様と出会い、語り合った、霊的な記念の交わりの場を『あなたの祭壇』として大事にしてください。


 アブラハムは最初から、最高の信仰の人ではありませんでした。

 最初、約束の地に向かって、メソポタミヤ文明の中心、カルデヤのウルから家族と共に、約束の地に向かって進んで行きましたが、メソポタミヤ文明の最果てからハランまで来た時、全面に広がる大砂漠を前にして約束の地に進むことを躊躇し、そこに留まったのです
 お父さんのテラは、二百五歳でハランに滞在している時に死んでしまいました。(11:31-32) 

 お父さんが死んで、アブラハムは神様の御言葉に再び従ったのです。ここで家族のしがらみから解放されて、神様の導きに従いました。
 私たちも新しい年、御言葉に従い、初心に帰って新たなる心で2015年を目標に向かって進んで行きましょう。


※この説教は、DVDで視聴出来ます。

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