あってもなくても幸せ

「自分はこれがあると幸せになれる」と思っている人は多い。
人によっては、「これ」とはお金であったり、物であったり、地位であったりと色々である。
 
確かに、何かを得ることによって幸せをつかむことはあるだろう。
しかしそれは、一時的なものであることが多く、もしその人が欲するものを得られないなら幸せになれないということにもなる。
 
もし私たちが神様に信頼するなら、何かが「あってもなくても幸せ」と思えるようになる。
なぜなら、神様はすべてのものを支配しておられ、私たちに必要なものを備えて下さり、最善の人生を与えて下さるからである。
聖書には「私たちのすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8章32節)とある。
 
本当の信仰は、何かを得ても得られなくても、その人が神様にあっていつも幸せだと思えるようにさせる。
それどころか、すべてのものを奪われても神様を賛美しながら死んでいった多くの殉教者たちのように、
「何もなくても私は幸せです」と心から言えるようにさえなれる。