私たちの人生には、様々な困難なことが起こることがあります。
それらには色々なケースがあり、原因がありますが、
もし私たちがある出来事に際して、
落ち込んでいたり、人と人とが仲違いしてしまったりするなど、大変な状況に陥ってしまった時、
冷静になって、今この時に、「悪魔がニタッと笑っていること」に気付かなければならないと、神田牧師はよく言っています。
聖書には、神様のことが書かれていますが、
同時に、悪魔の存在についてもはっきりと書かれています。
創世記において、最初の人類であるアダムとエバが罪を犯すようにそそのかしたのは悪魔です。
悪魔は、「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」(創世記3章1節より)とアダムとエバに神様の言葉を疑うように仕向け、
「あなたがたは決して死にません。」と言い、園の中央にある木の実を取って食べると必ず死ぬと言われた神様の言葉と正反対のことを言ってだましました。
結果彼らは罪を犯してしまうことになり、エデンの園から追放されてしまい、
神様との交わりが絶たれてしまいました。
悪魔のことを、聖書には、
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。」(ヨハネの福音書10章10節より)
と書かれてあります。
私たち人間の大切なものが奪われたり、自殺や殺人が行われたり、堕落や滅びへと向かっている時に、
実はその陰で悪魔がニッコリとほくそ笑んでいることがよくあるのです。
もし私たちが問題を前にして落胆したり、誰かに憎しみを抱いていたりするなら、
「あ、今、悪魔が喜んで笑っているぞ。」
「この問題を通して、結局悪魔が一番得をするんだ。」
と気付いてみることは非常に大切です。
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ人への手紙6章12節)
とあるように、
私たちが闘うべき敵は、血肉を持った人間ではなく、
私たちの弱みにつけこんで私たちを落胆させ、だまし、堕落させ、滅ぼそうとする悪魔なのです。
悪魔は私たちが悲しみ、落胆し、希望を失う時、あるいは誘惑されて道を間違えそうな時、あるいは人間関係が壊れたりする時、
ニタッと笑ってさらに私たちを絶望と滅びへと追いやろうとしているのかもしれません。
しかし、同時に聖書には、
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ人への手紙8章37節)
とあります。
神様を信じる私たちは、どんな状況にあっても、神様によって素晴らしい勝利が与えられるのです。
悪魔の存在には注意を払わなければなりませんが、取り立てて恐れることはありません。
悪魔はすでに敗北しているのです。
私たちを愛し、守り、いつも最善のものを与えて下さる神様にすべてのことを委ねながら、
困難や誘惑にひるむことなく、神様とともに歩んでいきましょう。