人生には、時に様々な困難な出来事が起こってきます。
私たち人間は、それらのことに一喜一憂して、恐れたり、混乱したり、絶望したりしてしまいがちではないでしょうか。
しかし、聖書には、
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)
と書かれています。
人生に様々な困難や試練や、嫌な出来事があったとしても、神様の御手の中で、それらのことさえ、益に変えられていきます。
もし、私たちが目の前の出来事だけを見て一喜一憂していては、そのことに振り回されるだけです。そして、落ち込んだり、自暴自棄や不信仰に陥ったりしてしまい、悪魔の思うつぼになってしまうでしょう。
ことわざにも「木を見て森を見ず」とあるように、物事の一部分や細部に気を取られていては、全体を見失ってしまいます。
私たちは、物事と人生の全体を見る目を持つべきなのです。
それでは、物事を近視眼的にとらえてしまうだけではなく、全体を見る目を持つにはどうすればよいのでしょうか。
それは、神様に目を向け、「信仰」を働かせることです。
ギリシャ語の「人間」=「アンスロポス」とは、「上を見上げる者」という意味を持っています。
人間は神様に目を向け、神様に祈り、助けを求めることが出来ます。
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、
私たちが神様に目を向けて、信仰を働かせるならば、目の前の問題だけにとらわれることはなくなります。そして、この問題を通して、神様はどのように働いて下さり、自分を導いて下さろうとしているのか、信仰の目で物事を見、物事の全体を見ることが出来るようになります。
私たちは、どのような時にも、神様に目を向け、神様の御手に委ねていく信仰を持ちたいものです。
「イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
すると、見よ、湖に大暴風が起こって、船は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。『主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。』
イエスは言われた。『なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。』それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
人々は驚いてこう言った。『風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」
(マタイの福音書8章23~27節)