人を包んであげること

現代を生きる人々には心の余裕がなくなってきている。

人間関係が希薄になり、

子どもも大人もキレやすく、ちょっとしたいさかいから殺人事件に発展することも多くなってきた。

 

ネットを見れば、人への中傷やレッテル貼りによる悪口であふれていることもある。

 

人間はどうしてこんなに気が短く、心が荒んできたのだろうか。

 

原因は色々ある。

社会的な背景として、教育の問題、経済が低迷していること、

また、テロや、国と国との緊張関係など、

世界的にもあまり平和な方向に向かっていないこと、など。

 

しかし、私たち人間は本来、神様がご自身のかたちとして創造された素晴らしい存在である。

「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」(創世記1章31節より)

 

このように書いている私も、結構気が短く、

自分のゆがんだ正義感を振りかざして家族とケンカをし、

神田牧師に叱られることもある。

 

神田牧師はよく私に言う。

「もっと幅を持たせることが大切だ。

たとえ正しいことであっても、今その人が言われるとしんどいこともある。

もっと人を包んであげないと。」

と。

 

人を包んであげること。

これは、心に本当に余裕があってはじめて出来ることだ。

しかし、私も含めて、現代人は心の余裕がなかなか持てないようだ。

 

人や物事をすぐに判断して、答えを急ごうとするのは、現代社会の病であるのかもしれない。

しかし本当の答えは、長い目で見ないと分からないことも多い。

そして、人は変わるし、成長もする。

この先どうなるかなんて、人間は正しい予測が出来るものではない。

 

目の前の状況だけを見て、人にレッテルを貼って裁いたり、

大切な物事を諦めたり、誤った判断をしてしまったりしてはいけない。

 

今自分にそんな余裕はない・・・と感じるかもしれないが、

そんな時、私たちは神様を思い出し、神様を見上げるべきである。

なぜなら、神様は私たち人間を愛し、いつでも物事を最善へと導いて下さる方だからだ。

 

「神様を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ人への手紙8章32節)

 

イエス様を救い主として与えて下さった神様は、

私たちを愛し、私たちに最善のものを与え、すべてを益に変えて下さるのだ。

この神様に信頼して、すべてのことを委ねていくなら、

私たちの心には平安と希望が生まれ、余裕が出てくる。

 

そして、イエス様はこのように語っておられる。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネの福音書15章12節)


神様にあって、神様を信頼する心で他の人を見ていくなら、

無理をしなくても、私たちは人を包み、人を愛し、見守っていく心を持つことが出来るようになる。

そして、取税人や罪人と一緒に食事をし、失敗だらけの弟子たちを信頼して忍耐強く教え導かれたイエス様のように、人を包み、待ち、見守っていく愛を神様によって与えられていきたいものである。