神田牧師がすい臓がんで亡くなってから3か月が過ぎた。
神様と人のために懸命に生きておられた神田牧師がこの世にいないのは寂しいが、
生前神田牧師がカウンセリングなどの中で語っていた言葉は、
私の心の中で大きな支えとなっている。
私は以前、カルト化した教会に行っていたことがあった。
その影響もあって、
聖書を読むと、そこに書いてある言葉が自分に直接語られているように感じる癖が強かった。
特に、聖書に書いてある神様の裁きの言葉がすべて自分に語られているようで、
怖くて聖書が読めないことが多かった。
そのうえ、うつ病をも患っていたので、
気力はなく、すぐに落ち込んで人生を否定的にとらえてばかりいた。
そんな私が神田牧師にカウンセリングしてもらうことになった。
最初の頃は、牧師は私に、
「あんたは今は聖書は読まなくていいから。」
と言って、私の話をひたすら聞いて下さっていた。
しんどい時はいつでも電話してもいいことになっていた。
そして、少し私が回復してきて、
聖書を読みたいけれどまだ怖くて読みづらい時、
「聖書は詩篇23篇を読みなさい。」
「詩篇23篇を繰り返し読みなさい。」
と言って下さった。
かなり元気になった後も、
私が落ち込んで不信仰な気持ちになった時など、
「詩篇23篇を読みなさい。あそこに書いてある通りだから。」
と勧めてくれた。
詩篇23篇は、聖書の中でも、
神様が私たちとともにいて守り導いて下さることを強く思わされる箇所である。
詩篇23篇 ダビデの賛歌
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、わたしのいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
神様である主は私たちの羊飼いとして、
私たちを守り導き、正しい道へ導かれる。
だから、羊である私たちは、安心して主のもとで憩うことが出来る。
特に神田牧師は、「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、」の箇所を示し、「食事をととのえる」とは宴会のことで、
「たとえ敵である悪魔がいたとしても、神様はその前で宴会を開きごちそうをととのえてくださるのだ!」と強調されていた。
私たちの敵である悪魔が、私たちを苦しめ惑わそうとしている時でも、
神様は私たちのために、神様の宴会を開いて下さるのだ。
これは、私たちが敵に対して圧倒的な勝利が約束されているということだ。
「まことに、わたしのいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。」
このみことばは、私に深い安心と神様への信頼を覚えさせ、
いつも神様とともにいて、すべてを神様に委ねようという信仰を確かにしてくれる。
心が沈んだり、不安や恐れにかられたりする時、
私は詩篇23篇を読むようにしている。
このみことばには、神様の恵みの豊かさが書かれ、
神様を信じる私たちには何も恐れるものはないことを思い出させてくれる。
また、悩みや絶望の中におられる方はもちろん、すべての人々が、
この詩篇により慰めと励ましを受けられることを願っている。
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