信仰なくしては神に悦ばるること能はず
ヘブル人への手紙11:1-10

 信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。…
 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。   (ヘブル書11:1-6)

 信仰とは何か?
日本にはの神々がいると言われています。それぞれが、それぞれの神々に手を合わせて拝んでいますが、その信仰は実態がありません。西行法師が伊勢神宮に行った時、「何事のおわしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる」と歌いました。
 日本人は信仰深く見えますが、実体のない信仰です。「イワシの頭も信心から」と言われている通りです。それが本当の信仰でしょうか。

 パウロは、「神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです」(ローマ1:19-21)と語っています。
 それなのに、人間はまことの神様を離れ、自分に都合の良い神を造り上げてしまいました。それを偶像と言います。
 それを聖書は、「不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたち 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました」ローマ1:23と教えています。
 シルクロードを通って文化も宗教も日本の入って来ました。神道も、仏教も旧約・新約聖書の影響を受けている事は事実です。日本が再び右傾化している政治の中で、彼らが歴史を美化していますが古事記や古代の日本仏教の中にキリスト教が混在しているが、外形だけを利用しているが、自分たちに都合良く換骨奪胎をしてしまう国家を造り上げました。

 「信仰に立って、いのちを得る」クリスチャンになろう!
 わが義人は、信仰によって生きる。「もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」。しかしわたしたちは信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。
                        10:38-39

  私たちの信じている信仰とは?
 「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」11:1
1-世界が「神の言葉によって創造された…聖書が語る神の言葉を確 信する信仰を持つ。(ルカ1:20.37-38.45.参照)
2-信仰による行動がアベルのささげものとなりった…「信仰がなくては神に喜ばれることはできません。」6と、十字架のイエス様を示す信仰を持つ必要があります。
3-エノクの信仰…死をみないで、天に移される信仰を学ぶ経験をす る必要があります。移された事によって神様に愛されている実体験を経験したのです。

  アブラハムの信仰に学ぶ
1-信仰によって「行く先を知らずに出発した」8…「自分が財産として 受け継ぐ地に行け!」との命令に従いました。
2-与えられる土地も知らずに出発しました8…神様に頼り切る信仰の人でしたが、旅人であり寄留者であることを知っていました。
3-幕屋に住み、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していた。10

 信仰によることの一歩を踏み出す
 信仰による一歩は学んできた通り、恵みの時代の、恵みの信仰に生きることを教えています。
 マタイ20:1-16 に書かれている『葡萄園の労働者』のように、神様の恵みの時代を学ぶ人になっていただきたいと願っています。
 律法的なユダヤ人にならないで、旧約の時代ですら神様は「アブラハムの信仰」の故に、彼を祝福しました。
 夜明けに、労働者を集めに出かけました。一日につき一デナリの約束で……。また9時に、12時ごろに、3時に、そして5時にも行って労働者を集めました。
 日没に近い5時に集めた労働者に1デナリを与えました。最後に夜明けに契約していた人は、もっと多く働いたのだから、沢山のデナリ硬貨が与えられると期待していました。しかし、1デナリしかもらえませんでした。彼がマタイ20:10-16を読んで終わりましょう。

 「最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」