『ラザロと金持ち』の人生
ルカによる福音書16:19-24
我ここに立つ!
マルチン・ルターはウォルスムスの国会に召喚され自説の撤回を拒否したために殺される状態に追いつめられた。
ルターはその状態の中で最後の発言を求められた時、彼は神様の救いは免罪符のような金銭で買えるものではない事を弁明し、「我、ここに立つ!主よ救いたまえ!」と言う言葉で、死を覚悟して聖書の言葉、「岩の上に立った」のです。
『ラザロと金持ち』の人生
私は昨年の4月に大学病院で膵臓がんの診断を受け、すでに肝臓にも癌が転移している事が検査で分かりました。一ヶ月持たないと医者に言われていましたが、もうすぐ一年になりますが、肝臓の癌は消え、先週のCT検査の結果は腹膜に癌が転移している事が分かりました。来月から抗癌剤の点滴が更に増える様になるそうです。
私の元気さに主治医も驚いて「元気な現状にあって以前に肝臓癌が消えていった点滴も加えて治療にあたります」と言われました。
今日、午後から「ルーテル・老人ホーム」の礼拝で『ラザロと金持ち』のメッセージをする予定です。それで「ルーテル・ホーム」のメッセージで、「死についてのメッセージを語ってもいいですか」とたずねまました。
「自由に話してくださっていいですよ」と私の語るメッセージのアウトラインを語るとOK!を出して下さいました。
ルカによる福音書16:19で「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては彼のおできをなめていた」と彼らの生前の事が三節だけ書かれています。
この話しは例え話ではありません。なぜなら例え話には人の名前は書かれていません。金持ちの名前は書かれていませんが、貧しくできもので覆われて犬がなめに来ていました。「金持ちの家の門前で食卓から落ちて来る物で腹を満たしたいと思っていた」のですと…。聖書は「
この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。」16:22-26と続くのです。
この貧しい人がついに死に(口語訳)、御使いたちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた、と厄介者がついに死に、葬りもなくそこらに捨てたように思えます。しかし、ラザロは天使たちに守られて信仰の父アブラハムのふところに送られ天国で永遠の生命を手にしました。
ステパノが石打の刑で殉教する時、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。使7:55-56
あなたが苦しみの中を歩む時、迫害の中でも、神の右に座しておられるイエス様が立ちあがって手を差し伸べておられるのです。